科学哲学
仮説モデルの妥当性って実験以外でどう保証されるのだろう
分野にもよるけれど、ある推論や結論を導き出したときの「論理とか思考の正しさ」ってのはどこで保証されるのだろうか。
人文系に限らず、理工学系の科学理論だって突き詰めれば人間が頭の中で作り出している妄想でしかないんじゃない?っていうような疑問がある。ただ、科学は実験によってある程度正しい/正しくないが判別されているので、現実の世界を記述するモデルとして信頼性は高い。
実験すりゃいいじゃんって話にもなるけれど、ものによっては(技術的、経済的あるいは倫理的に)実験系が組めない、実験系の信頼性などの問題がついて回る。
「本当に正しいモデル」と現在の仮説にどの程度の差があるのか知りたい。
答え合わせをするには答えを予め知らないといけないというジレンマ。
やってみないと分からない
一度実際に手を動かして始めから終わりまで経験してみないことには、まともにアイデアさえ出せない
■
どうでもいい仕事に時間と体力を削られて、自分を見失っている感がある
やりたいことの優先順位を上げて無理にでも実行に移さないと、「時間ができたときにする」機会はいつまで経ってもない
■
巷に溢れるビジネスマナー、部族の風習と読み替えるとストレスフリー