frantic87's diary

書きたいときに、書きたいから書く

翻訳について

『生命の跳躍』(ニック・レーン著、斉藤隆央訳)を読んでいる。

生命の進化における重要なターニングポイントについて、生命の誕生から死まで、10のテーマについて語っている。内容は刺激的だし、生物学研究の最前線のようす垣間見えて興味深い。

 

だが、どうも読みづらい。

「読みにくい翻訳の文章」があるということに最近気づいた。内容が難しくて読みにくいというのではない。意味は通じるけれど日本語としては不自然な表現がある。構造は英文のまま、単語または語句を日本語に置き換えただけのもの。原文に当たって、英文のまま読んだほうが樂なんじゃね?と思ったり、原文がどう書かれているのかだいたい想像つくことが多い。表現こそ日本語だが、そこにあるのは英語の思考の枠組みだ。

 

使用する言語が異なるということは、思考の枠組みが異なるということだ。ある言語の持つ語彙や言い回しは、言語集団の興味や思考の方向性を表している。とある白くてモコモコした四本足の動物は、日本語では「ヒツジ」とひと括りにされてしまうが、英語では「sheep」「ram」「lamb」などと区別される。逆に日本語では、「いなだ→はまち→ぶり」などのように魚を区別する語彙が多いということもある。

 

単に語句を置き換えただけでは自然な文章にならない。元の言語の枠組みを解体して、新たに産み直してやらなきゃいけない。

 

ただ、気に留めていなかったけど、スラスラ読める訳書というのもあって、そういう翻訳者の方々は凄いなと今更気づいた次第。

 

なかなか読み進められないので、そんなことを考えていた。

翻訳って難しい。

 

あ、ちなみにこれが初投稿でした。

自分以外に読みに来る人がいるとは思いませんが、思い出したように文章を書いていくつもりです。よろしく。