frantic87's diary

書きたいときに、書きたいから書く

道具があなたを作る

カーナビばかり見てに運転するようになってから地理感覚が落ちました。カーナビに明らかに遠回りなルートが表示されるのに気づかなかったり、目的地周辺に着いてからあっちこっちウロウロしたり。道のりを頭に思い描かけない自分と、それ以前にわざわざ道のりの確認をしようとしない自分を発見して、少しドキリとさせられます。

同じようなことで、携帯電話無しでの待ち合わせもできなくなりました。

いざとなったら道具に頼ればいいと心の奥で思っていて、なかば無意識に脳が油断しているのでしょう。

 

 

カーナビも携帯電話も人間の負担を軽くするぶん、人間の能力は減退します。生物ではこのような作用を廃用萎縮といいます。骨折で入院した高齢者が一か月ベッドの上で生活したら、筋肉が衰えて自力で立ち上がれなくのと同じです。

高齢者の例は別にして、日常生活で不便がないなら能力が衰えても問題ない?たしかにそうかもしれません。でも一つ気になることがあります。それは、人間だれしもそういった能力の衰えには自覚があまりないということです。

ものが「ない」ことには意識を払わないと気づけません。教室に他クラスの人間が紛れ込んでいたらすぐ気付きますが、クラスメイトの1人が欠席してもなかなか気付かれません。その子に用事があるなり、席に視線を送るなりして不在が意識の表に出てきます。多くの能力の衰えも、その能力が必要とされたときに初めて「ない」ことに気付きます。

 

道具というのは「できる」ことを増やしてくれますが、同時に我々の「できない」ことも増やしている場合があります。というよりもむしろ、道具に合わせて我々が変化しています。であればこそ、普段からよく使う道具には気を払ったほうがいいと思います。

 

 

 いつの間にか新しいものは、私たちの感覚を変えます。そして、いつの間にかもう戻れないくさびを私たちの生活に打ち込んでいます。新しいものがないと、私たちはかつては感じなかったはずの欠如感や不足感を感じるようになってしまいます。
 そんな大きな変化が起きているのに、ふだん私たちはそれをめったに意識しません。ケータイを持つようになる前に、やがて自分は、外出時にうっかりケータイを忘れると、こんなにも不自由になると予想していた人がどれだけいるでしょうか。
三宅秀道「新しい市場のつくりかた」東洋経済新報社、2012
 

 

多くの日本人が一番長く、頻繁に使用している道具と言えば携帯電話でしょう。今のスマートフォンを使い始めてそろそろ2年になるのですが、この記事を読んでからスマホの使い方を意識して変えないとマズイかなと思いました。

 

 ついでに、スマートフォンやタブレットばかり使っていると頭が悪くなるかもしれない問題――言い換えると“日頃使っているインターフェースに思考が影響を受ける問題”――についてまとめておく。

中略

 ディスプレイのサイズも問題だ。拡大/縮小できるとはいえ、一度に視界に入る文字の量はどうしても限られる。大型ディスプレイでネット上の文物を眺めるのに比べると、一度に視界に入る情報量は限定され、それがそのまま認知のバッファ限界になってしまう

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20130514/p1

 

改めて振り返ってみると、画面の小ささによる情報量の少なさだけでなく、ネットの回線速度が遅かったり、機種自体のレスポンス(特に文字入力)が遅くて、それが自分の思考のボトルネックになっているなと感じます。

また、思考の話だけでなく、スマホを支え続けたせいで小指が変形する例もあるそうで。

我々にできるのはどういう道具を選ぶかという点までで、道具を使い始めたら意識の及ばない範囲でも影響を受けてしまうという話です。道具選びって大事です。

 

余談ですが、逆に情報量なり操作量で人間を圧倒して、人間側のレベルアップを促してくれるようなフォーマットはないもんでしょうかね?

あまり流行りそうじゃありませんけど、需要はありそう。