frantic87's diary

書きたいときに、書きたいから書く

植物あるいは機械

tumblrをやっていると自分がただの思考機械のような感じがして面白い。自分の好みにそってライクやリブログをこなしていく。あとから見返すと自分の嗜好が分かってなお興味深い。

私の先生は人間は植物と変わらないと言っていた。人間の姿は、植物と一緒で周りからの影響に支配されている。自分の意志と信じているその大部分が実は周りから得たものである。ただし、ほんとうの植物と違って人間はあるていど自分の生きていく場所を選ぶことができる。いま居る場所の日当たりのが悪いと感じたら、新しい場所に移ることができるというのがささやかな違い打という。
私は人間は機械あるいは関数のようなものだと思う。ある刺激が入力されるとそれに対する応答をなかば自動的に出力する装置だ。意志というのもただの錯覚ではないかとよく思う。人間が生きているというのもただの現象だ。
機械や関数と違うのは同じ入力に対して同じ出力を返すとは限らないという点。あの感動をもう一度というのはだいたい不可能だ。常に変化しているという点では先生のいうように植物に喩えるほうが合っているのかもしれない。
そういえば先生は哲学の出だった。植物のたとえは「人間は考える葦である」から来ていたのかもしれないといま気付いた。