frantic87's diary

書きたいときに、書きたいから書く

言語化しない

あけましておめでとうございます。
忘年会でとても有意義な話を聞くことができました。その相手は私の目標としている方なのですが、曰わく「目標や理想は言語化してはいけない」とのことです。
頭の中のイメージに言葉という「かたち」を与えてしまうと、言葉にした時点で零れ落ちてしまうイメージが存在します。イスラム教の偶像崇拝禁止などをイメージしてもらえれば適切だと思うのですが、神の姿とか信仰などは形や定義を定めないほうが神聖なままでいられます。神社でも御神体はふだん本殿の奥などに隠したままですね。

その方には、私は言語化する能力
(※ =自分の枠組みで分類する能力、≠国語脳)が人より高くて、そこに頼りがちであると言われました。分類以前に対象を対象のまま把握する能力を磨け、ということだと今は理解しています。それはきっと、芸術を理解する感性のようなものだと思っていますが本当の所はまだよく分かっていません。
今年1年の宿題を貰えました。


以下は自分用のメモ
・言語化というのは思考を進めるうえで非常に強力なツールたが、万能ではない
・言葉を使わずに思考することは難しいが、図形のイメージ、将棋、スポーツ、音楽、味覚など言語以前で思考しているときもある
・そういうときは言語的思考はイメージに遅れてやってくる
・スポーツでは意識的(言語的)に動作を反復することで、同じ無意識に行うことができるようになる。いわゆる身体が覚えている状態。
・言語化とは自分の枠組みで世界を捉えなおす作業。たとえば目の前にある赤い物体を見て「あれは、りんごだ。」と言語化した時点で、私たちは自分の頭の中にあるりんごと目の前にある物体を関連付けて理解する。
・目の前にある2つの別々の赤い物体を同じ「りんご」だと認識できるのもそういう関連付け(抽象化)の成果。というか1つ、2つと数を区別することが既に抽象化の成果。
・言語で考えている道筋は後から辿れる。誰かに説明することができる。でも、ひらめきとかインスピレーションとは対極にある、という気がする。
・言語化することで思考を積み重ねることができる。言語/非言語のスイッチングを意識的に行えるようにしたい。