frantic87's diary

書きたいときに、書きたいから書く

何のために書くのか

まだテストは終わっていないのですが勉強するよりも、文書を書いておきたい気分なのでもう1つ書いてみます。

更新はまばらだし、一度書いた記事は読み返しもしない、他のブロガーとの交流の場になっている訳でもない、わりと論理も支離滅裂、そして (おそらく)誰も見に来ていないこのブログ。いったい何のために書いているのか。

まず結論から言ってしまえば、未来の自分に向けて書いています。10年後くらいになって、何を書いたのかすっかり忘れた頃に読み返して、「ああこの頃はこんなことを考えていた」「こんなこと言ってて恥ずかしい」「自分はこういう性格だった」なんて思えたらいいなあと思っています。

少なくとも数ヶ月前の自分と現在の自分では、物の感じ方や興味の対象がだいぶズレていることが自覚できます。同一人物でも、時間とともに少しずつ変化していきます。男子三日会わざれば刮目して見よなんて言うように、経験の積み重ねは数日で表れることもあります。

何か記録として参照できるようにしておかなくては、その時々の自分はあっという間にどこかへ行ってしまいます。

 

それから考えたことの整理をするためにも書いています。

書くこと自体は後ろ向きな作業です。書いている間は新しい発想が生まれることはほぼありません。アウトプットに神経が集中していて、それまでに考えていたアイデアを頭の中から拾ってきてつなぎ合わせる作業に没頭しています。個々のピースを伝わるように並び替えたり、形を整えてやる作業が一番エネルギーを使います。少なくとも私の場合はですが。

それと、頭の中で考えている順番と、文章の順番はぜんぜん違います。頭の中では論理が飛躍し、思考があちこちに飛びます。文章あるいは声に出して伝わるメッセージは、それらを伝わるようにして成型した結果であって、考えたことから抽出された上澄みです。伝える内容にもよりますが、10のメッセージ裏には100以上の思考があるなんてことは珍しくないはずです。間違っても文章を読んで、この人はこういう風に考えているんだ、とは受け取らないほうがいいと思います。

後ろ向きな作業、と書きましたが得るものがないという意味ではありません。次の一歩を進めるための足場作りという意味合いが大きいです。文章にすることで自分の思考を客観視することができます。書くこと自体は作業でも、そこに発見があることはあります。

(追記)

書き終わってからさっそく気付きました。「誰かに伝わるように書かなくては」という前提というか思い込みが文章を書くことの苦手意識の原因です。自分しか見ないメモはスラスラ書けるのに、誰かに見られるとなったとたんペースが落ちるんですよね。