frantic87's diary

書きたいときに、書きたいから書く

掃除

自分に対する甘さが更なる甘さを呼んで、どんどん駄目な子になっているのが分かる。自分に厳しく当たるのが良いと理屈では考えられるのだけど、それを行動に反映させることができないでいる。

 でも、人に会うと少しだけ自分に対する厳しさを取り戻すことができる。それは外からの視線を思い出させてくれるからだ。このたるんだ自分を知られたらどう思われるか、評価を下げられるのは嫌だという風に。逆の場合も同じで、頑張った時には認めてもらえると期待している。自分に対する厳しさというのも裏側を覗いてみれば、他人に理解してもらうことを期待しているようで、実質的には他人の視線を利用していると感じられる。

寺の修行で一番厳しいのは、誰も見ない本堂の掃除をすることだと聞いたことがある。自分以外の誰にも見られないので、手を抜いても一切分からないし、逆に頑張っても認められもしない。原動力は自分の中にしかない。

一人でも掃除ができる人間になりたい。