frantic87's diary

書きたいときに、書きたいから書く

言葉を尽くしても

調子がいいときや、相手との相性がいいときは、話すことが幾らでも出てくる。思いつくことを話し続けても、考えていることを全て話すことはできない。

 仮に一晩かけて語り合ったとしても、またその中で話したいこと・掘り下げたいことが出てくるので、終わりはない。会話が途切れる理由は、酔っ払ってきたり、疲れたり、飽きてきたりするといったもの。考えていることを全て相手に伝えるのは不可能だ。

全てを伝えることはできない。自分の中だけで完結する思考がたくさんある。むしろそちらの方が大部分で、会話や文章で伝えるようなものは、考えたこと感じたことのほんの一部でしかない。

コミュニケーションには無数の選択肢がある。非言語コミュニケーションにまで選択肢を広げればなおさら。身振り手振り、声量やトーン・速さとった話し方、テーマを切り出すタイミング…etc. コミュニケーションの選択肢の多い人ほど(あるいは自覚的な人ほど)、洗練されたコミュニケーションをしている。10から1つ選ぶのと、100から1つ選ぶのではレベルが段違い。そういうことが出来るのがいわゆる「天才」だと思っている。

少し話を戻して、「考えたこと全てを伝えることはできない」。これには喋るための時間や体力が足りないといった肉体的・物理的な障壁もあるし、そもそも思考を言葉にした時点で頭の中にあったものからは変質している。自分の頭→言葉→相手の頭と伝言ゲームを積み重ねる過程で少なくとも2回は変質するタイミングがある。

全てを伝えきることができないのであれば、わざわざ無理して伝えることはない。どこかで諦めることになる。その線引きは自分で自由に決められるわけで、話せることが沢山あっても、あえて無口でいるという選択肢もある。

また、そもそも自分の考えたことを本当に理解して言葉にできているとは限らない。「自分が本当に何を考えているのか」は案外自分自身でも分かってない(突き詰めていけば、全ての思考がそうだ)。

こうやってだらだら書いていることも、考えたことの一部でしかないし、書かれたものを読んでも(仮に存在したとして)読者に自分が考えたことがそのまま伝わることはない。

書くことで、あるいは話すことで、自分の思考を客観的に振り返ることができるといったメリットもある。だから、たまにこうして適当なことを書いている。