frantic87's diary

書きたいときに、書きたいから書く

出世の回路を開く

死後の世界や来世について考えることで、「いま・ここにいる・わたし」をより広い枠組みで捉えることができる。これが宗教の機能でしょう。
ベタな例ですが、「女なんて星の数ほどいる」「この海の広さに比べれば私の悩みなんてちっぽけなものだ」という感じ。「いま・ここにいる・わたし」をより広い枠組みで捉え直す行為です。
多くの宗教が死後の世界や来世を説くのは、死んだ後も世界が続くと考えさせることで、現世の行いに意味付けをしているからです。現世の行いが来世に関わるとすれば、現世で徳を積むようになるってことですね。
別に、来世や死後の世界がほんとうに存在するかどうかは問題ではないのです。その世界観を受け入れた時点で現世の行いが改善される、そういうメカニズムなのです。

最近少し仏教について勉強しています。実践よりのスタンスが気に入っています。仏教とは信徒で「ある」ものではなく、「する」ものです。あえてチープな言い方をすれば、より良く生きるためのハウツー集。歴史があるだけあって先人たちの集合知としての側面もあります。
一神教的な絶対存在を信仰するスタイルよりも肌に合っています(宗教を選択可能なものとして相対化している時点でもう私には一神教は合わないのでしょう)。

だんだんと、仏教が世界三大宗教と言われながらも流行らない理由も分かってきました。腹の空いているときに魚を差し出してくれるのではなく、釣りの方法を教えてくれるようなところがあるのです。絶対的な存在が救いを与えてくれるのではなく、生の苦しみをまず認めるところから始まる。ある意味で厳しいのです。

家の墓は浄土真宗ですが、別に仏門に帰依するつもりはありません。にわか仏教徒です。思い出したときに少しずつ勉強していきます。